小代内水面組合について

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Suppon

History

小代内水面組合

おじろに何か特産品を。

熱き男たちの挑戦からはじまったストーリー。

約50年ほど前、町の有志8人ではじめたすっぽんの養殖。

地域活性化のため、住民有志が出資して温泉を掘り当てたことが事のはじまりになった。

温泉施設以外の利用方法を模索していたところ、同じ日本海側にある鳥取の浜村温泉で、温泉の排湯を利用したスッポンの養殖を行っていることを知り、すっぽんの養殖に踏み切ったのです。

当時を振り返ると「失敗ばかりだった」そう。 最初は温泉成分の影響で全滅したり、町が整備した養殖施設で育ててみたものの、水温が15~16度ぐらいと低いので、大きくならないうちに死んでしまう。水温が低いとえさへの食いつきが悪く、冬眠できるほど低い温度でもないため、体力のみを消耗してしまうという。温度管理が難しい上に、失敗続き。

ちょうどそのころ、料理人の増田さんが養殖事業にかかわり始めた。 料理人で、健康によい食材としてのスッポンに興味があった。町内で食堂を経営していたことから、1980年ごろにスッポン料理組合を設立、神戸の高級料亭で働く友人から料理の方法を学び、町内に広めていった。
 

 

わが子のように大切に丁寧に。

スッポンへの愛

かわいいんや。スッポンが。
小代のレジェンド

 
スッポンの養殖を始めたメンバーのうちの一人、小代内水面組合 組合長の増田時雄さんは、その情熱を持ち続け、長年一人でスッポン、さらにはチョウザメの養殖に携わってきました。  
「好きでないとできん!」というほど大変な作業が多く、苦労しながらのすっぽんとチョウザメの養殖。中でもチョウザメは繊細で、雨水などの濁り水が混ざるとすぐに死んでしまうそうで、水質管理には特に気をつけているそうです。
愛情をいっぱいかけてもらい、大きく成長したスッポンとチョウザメは、小代区内の民宿や旅館で食べれるだけでなく、全国各地にも出荷されています。
半世紀に渡りスッポンの養殖に携わってきて、なお、スッポンには絶大な魅力を感じると言います。
「スッポンはものすごい魅力的」 
 
元気がなく、孫と娘に抱えられてスッポンを食べに来ていたおじいさんが、その後一人でスイスイ元気に歩いて食べにこれるようになったり、
死ぬまでに食べたいといってスッポンを食べにくる人がいる。それほど、スッポンは食べた人を元気にさせる不思議な魅力のあるもの。
当時、小代でスッポンをと立ち上がったが、誰もスッポンのことをよく知らず、のちに有名な料理人になった友人に、すっぽんを持ち込みで一夜漬けで調理法など教えてもらった。
増田さんの毎日はとにかく忙しい。
えさのコストを抑えようと、2週間に1度、町内の漁港にある魚の加工場から余った内臓などを漬物だる4杯分ほどもらい、加熱して細かく刻み、市販のえさと混ぜて与える。また産卵時期は、取ってきた卵を28度の砂の中に埋め、2カ月かけてふ化させる。
全てに手間暇かけて、丁寧に大切に育てている。
 
増田さんほぼ1人でえさづくりや温度管理、卵のふ化、親ガメの冬眠など養殖にかかわる作業全般を担ってきた。いつまで養殖事業を続けられるのか?そんな不安もある中、増田さんに朗報が届いたのは2020年。

小代内水面漁業組合で事業承継業務に香美町地域おこし協力隊の村上清能(きよたか)さんが担当となりました。
 
 

 

昭和56年

苦節5年 50匹を初出荷

昭和56年の新聞記事

スッポンの養殖を始めて5年。ようやく初めての出荷にこぎつけた際の当時の新聞記事。有志8人、月々5000円から1万円の小遣いを出し合って資金を集めて始めた様子などが書かれています。

昭和62年

スッポン供養塔

昭和62年10月に供養塔完成

ケヤキの古木を利用した供養塔を、スッポンの町のシンボルにしようと、有志8人で、仕事の合間に作っている様子の当時の新聞記事。
『南無阿弥陀仏』と彫られた立派な供養塔は現在も大谷の大平山荘へ行く道中に立っています。

現在の供養塔

平成14年

十七回忌・すっぽん供養

2002年(平成14年)の記事
本格的なスッポンの養殖が始まってから16年目になる年に開催された、スッポンの十七回忌。「あなたを思い出すと、よだれが出そうになりますが、、」などしめやかな儀式にも笑いを誘う弔辞に、当時の盛り上がりを感じます。


平成10年 十三回忌の際の記事

チョウザメの養殖

こだわり食材・チョウザメ

 
1996(平成8)年から養殖をスタートし、
2005(平成17)年にはキャビアの採卵に成功。
2014 (平成26)年チョウザメの魚醤『蝶のしずく』販売

採取から塩漬け、瓶詰めまでを行った新鮮さが売りの「フレッシュキャビア」は濃厚な味わいで、すぐに売り切れてしまった。
※今は製造はされていません。

生後およそ3年で食用に、
そして8年ほどでキャビアが取れ、
利用されない部分は魚醤として販売されています。
 

時間と手間と愛情がないと無理!
大切に育てられています。

チョウザメはとっても繊細な生き物。
とにかく水質管理が難しくて、環境整備に大変苦労して、稚魚から育てられるようになるまで約10年ほどかかった。
水が濁ると死んでしまうので、大雨の日などは夜中に養殖場まで行ってつきっきりで水質管理したりしているそう。
現在は250匹ほどを養殖している。

成長するのに長い年月がかかる分、長寿の魚。20年ほど生き、中には100年ほど生きるものもいるそうです。

身に引き締まった貴重なチョウザメを、小代でもおいしくいただけますよ。
 

なんとか育ってほしい

適温の26℃の温泉水を利用

スッポンの飼育場所の温度管理には頭を悩ませたそう。

2009年、冬場に道路の雪を溶かすために使われる温泉水を利用することを思いつく。その温泉水は、融雪時以外は使われておらず、常時26度に保たれているため、スッポンの飼育にぴったりだと考えたのだ。

ビニールハウスを建てて、中の池に温泉水を引いたところ、稚ガメの生育が良くなり、死ななくなった。そして、当初の稚ガメが成長した12年ごろから、町内をはじめ京阪神に出荷できるようになった。

太っていて厚みのある香美町のスッポンは、取引先からの評判も良い。

また、スッポンを使った健康食品の製造などにも取り組んでいる。
 

わが子のように大切に丁寧に。

増田さんの毎日はとにかく忙しい。
えさのコストを抑えようと、2週間に1度、町内の漁港にある魚の加工場から余った内臓などを漬物だる4杯分ほどもらい、加熱して細かく刻み、市販のえさと混ぜて与える。また産卵時期は、取ってきた卵を28度の砂の中に埋め、2カ月かけてふ化させる。
全てに手間暇かけて、丁寧に大切に育てている。
 
増田さんほぼ1人でえさづくりや温度管理、卵のふ化、親ガメの冬眠など養殖にかかわる作業全般を担ってきた。いつまで養殖事業を続けられるのか?そんな不安もある中、増田さんに朗報が届いたのは2020年。

小代内水面漁業組合で事業承継業務に香美町地域おこし協力隊の村上清能(きよたか)さんが担当となりました。
 
 

 

平成22年

地下水で保温。ハウスのスッポン養殖場ができた

平成22年の記事

温泉水を利用して室温30度を保てるハウスの養殖場ができた。スッポンが冬眠しなくなれば、安定供給につがるため、大いなる希望に満ちています。

スッポンなど宅配サービス

小代内の各店舗で提供

 

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